まずは杭毛。


杭毛糸で織った織物の総称です。


原毛の段階で杭られた長くて細い糸。


ビジネススーツのもっとも一般的な生地ですね。


腕時計をハミルトン ベンチュラにするなどしてお洒落を楽しむのなら、こうして服の素材にもこだわってみたらいかがでしょうか。


名称は、イギリスの町の名前にちなんでいます。


特徴は織り目がはっきりしていて、腰が強く、シワになりにくいツイードと並んで紡毛地を代表する織物。


平織りあるいは綾織り紡毛がフェルト仕上げにされており暖かいタッチが特徴です。


杭毛糸を使ったウーステッド・フランネルもあります。


そしてサージ。


杭毛糸または綿糸を使った綾織り地のこと。


織り目が斜め45度にはっきり現われるのが特徴です。


最近はブレザー、コートスラックスなどに多く使われていますね。


次にサキソニー。


最初ドイツのサキソニー・メリノを原料としたため、この名称が生まれました。


平織りか、綾織りで、ミルド仕上げ(縮絨起毛)したソフト感のある生地です。


目のつんだビロードのような光沢をもつ生地のこと。


おもに礼服地として使われ、"嬬子目羅紗"とも呼ばれます。


最高のものはカシミヤです。



伝統的な英国紳士服地に対して、ファッショナブルな服地として注目されるのがイタリア製紳士服地。


ほとんどが北イタリアのアルプス山麓に工場をもち、ミラノ派デザイナ!たちに服地を提供しています。


その代表メーカーがエルメネジルドゼニア、チェルティ、ロロ・ピアーナなどです。


さらに最近では、これらのウールン・マーチャント、メーカーものの服地に混じって、ハウス・ブランドと呼ばれる服地もテーラーでよく見かけます。


腕時計にこだわり、ハミルトン ジャズマスターをつけている男性ならわかりますよね。


これはパリのオートクチュールがメンズ分野にも進出し、服地のテキスタイルデザインも手掛けるようになったからです。


織っているのは、イギリス・ハダスフィールドのミルです。


中にはウールン・マーチャントに依頼しているものもあります。


主なものは、「ランバン」「ウンガロ」「ニナリッチ」「ジャン・バトウ」「イヴ・サンローラン」「ダンヒル」「バーディ・エイミス」などです。



英国製高級紳士服地には、マーチャントものとミルものの二通りがあります。


マーチャントとはウールン・マーチャント(羊毛商)のことで、各地からいい原毛を買い付け、毛織メーカーに自社の柄出しによる服地を織らせ製品化しているもの。


高級服地のウールン・マーチャントとしては、「スキャバル」「エーメル」コション・クーパー」「バークレイ」「ポーランド・シェリー」「H・レッサー」「フィンテックスオブロンドン」などがあります。


それに対してミルものとは、毛織メーカーが自社ブランドで出している服地のこと。


ミルとはもともと、水車小屋、製粉工場のことだったのですが、紡織工場のこともミルと呼ぶようになりました。


その中心はロンドンの北400キロにあるヨークシャー州のハダスフィールドです。


ミルでは、「モクソン」「リーロイド」「リード・テイラー」「テーラー・ロッジ」「カイノック」「クロンビー」などがあげられますね。


お洒落を自負する男性なら、ビジネスバッグだけでなく、こうした服の素材にもこだわりたいものです。




こんにちは。


もう2月ですね。


今日は友人の誕生日なので、あとで何かお祝いを持って遊びに行こうと思います。


何がいいかな。


それはあとで考えることにして、お待ちかね、科学知識についての話です。


相互関係がはっきり示されている適当な地図をよく調べることによって解かれます。


地図をよく調べるとはつまり、適切な理論や分類体系を参考にするというようなことですね。


実証主義者にとっては、政府の経済政策であれ、刑法体系の有効性であれ、また精神異常の治療であれ、すべての問題は、適当な「地図」上の問題設定として表現されます。


彼らは経済理論、社会的モデル、精神医学の方法論に依存します。


既存の地図が断片的だったり思弁的だったりして、まったく人をまどわせる場合ですら、常識、実際の経験、直感的な分別、人文的な伝統等にではなく、「合理性」の名の下に、既存の地図にしがみつく傾向があります。


近代では、フランス革命のジャコバン党員から核抑止のゲームの理論家に至るまで、あらゆる空想的「体系」の唱道者の殆どが、正しく応用しうる限度を越えて「科学的方法」の理念を動員し、それを正当化しようとしてきました。

明けましたね。


おめでとうございます。


わたしはお正月が好きでたまりません。


お店がやっていなくてもいいんです。


この雰囲気がたまりません。


では科学知識についての話です。


ナイーブな哲学的科学主義を正さなければ、科学を真理の第一の源泉とみなす実証主義の誤りにやすやすと陥ってしまうものです。


その最も極端な形が、「論理実証主義」だとわたしは思います。


これは、物質世界であれ人間的事象であれ、「科学以外の」他の知識の源泉をあえて拒否するものです。


この説では、科学的方法の威力が、研究の把握できるところをはるかに越えた自然現象、社会現象の領域まで及ぶと仮定されます。


この極端な主張は、おそらく科学を実際に経験した人の気まぐれではなく、哲学者の気の迷いであっ
て、今では流行おくれとなっています。


流行おくれ・・・という言い方はおかしいかもしれませんが、つまりそういうことです。


それにもかかわらず、科学教育が実証主義を暗黙の前提としていることは疑いようがないでしょう。


どの「妥当」な科学分野も、あたかも完全な真理であるかのように教えられます。


たとえそれが不幸にして誤りだとしても完全に訂正可能であるとされるのです。


その他のどんな人間の知性の顕われにも、他のどんな真理、理解の道筋にも、また他のいかなる信頼と行動の源にも、何らまともな注意がはらわれません。

ちょっとお久しぶりです。


もうすぐ今年が終わりますね。


2010年になったばっかりのような気がしてましたが、もうすぐ2011年です。


早い人はもう年賀状の用意をしはじめていますね。


わたしは全くしていません。


さて科学知識についての話です。


全ての科学知識に、そしてただそれだけに正当性を与えるような、普遍的な「科学の方法」という観念は、科学教育で強化されたもう一つの神話です。


その観念は、基本的な形而上学的原理として暗黙の内に教え伝えられており、議論されたり分析されたりすることはまずありません。


それは正面からこのような問いを立ててしまうと、科学の権利が本来あるべき割合まで減じられてしまうからです。


そして、信頼できる知識の特別の源泉としての科学の神秘性が、少々薄らいでしまうということが、無意識の内に気付かれているためでしょう。


観測装置と数学的思考が緊密に結びついた天体物理学のような分野の科学の方法が、細胞生物学の方法と全く同じわけがないということは、確かにすぐわかりますよね。


細胞生物学では、真実を手に入れるのに、視覚的解釈と巧妙な実験作業の非常に複雑な組合せが必要です。


その一方で、これらの方法は、社会学や心理学には全然適用できないように思われるでしょう。


つまり、科学が原理的に唯一の「方法」を持つかどうかは、大部分の科学者が了解しているより、ずっと微妙な問題なのです。


・・・とわたしは思います。

もう12月ですね。


いよいよ年末です。


日本も外国のようにクリスマス商戦がはじまってますね。


家の玄関や屋根などをキラキラに飾るような家も増えてきました。


わたしが子どもの頃にはそんな家は見かけたことがなかったものですが。


これもホーム・アローンの影響でしょうか。


さて。


科学知識についての話です。


現実に科学がどのように動いているのか知っている大学の科学の教師は、このことを学生と深く議論することはほとんどありません。


学校の教師は、研究の経験が無いので、このテーマにはぼんやりとした考えしかもっていないものです。


科学教育においては、暗黙のうちに、どの専門分野でも、科学者や他の専門家が十分な理由をうまく探求してきたはずですから、教えられていることはたしかに「妥当」であると前提されています。


ですから、その手のアカデミックな問いに時間を消費することなく進み、教えられることを学ぶほうが良いとされるのです。


新しい段階に入るごとに生徒が感じる、ちょっとおかしいそという感覚をのりきるように、現段階でのその分野での知識を正当化するもっともらしい一群の議論が並べられます。


しかし、疑問とか困難と言うような批判の道具は、全部注意深くおおいかくされているものです。


・・・もちろん、頭の良い学生は、自分の批判的な懐疑主義をすべておさえつけることはないでしょう。


しかしそういう学生は、真っ先に新しい「地図」の可能性に歓喜し、その有効性や「妥当性」の価値を認めてしまうものなのです。

こんにちは。


11月ももう半ばになってしまいました。


1年があっという間・・・。


何もしていない気がします。


時間の過ぎるスピードが、明らかにどんどん早くなっている気がします。


話は前回の続きです。


研究の最前線に近づくに従って、学生は、新しい科学知識が苦労して作られるのを垣間見るようになります。


しかしこのプロセスに実際に熱心に参加するようになるまでは、それを自分自身で観察し休験する機会はほとんどありません。


大学院生や博士号取得後の科学研究者、講師や教授でさえ、科学知識の妥当性という基本的な問題については、根も葉もない考えしか与えられなかったでしょう。


あるいは、たまたま講義を聞いたとか、半分素人向けに書かれた本を幾時間か読んだというような程度でしょう。


これが全く不健全な現象だというわけではありません。


現実には、科学研究は、自己の伝統に従うことで十分満足に進んでいるのです。


科学研究者は「妥当性」の基準や標準、適切な研究方法、結果や結論を発表する際のフォーマット等の伝統を徒弟期間に身につけます。


そして、簡単な哲学的議論では正当化出来ない方法でその伝統の間で生活することを学びます。


実際の科学の方法は、どんな図式的な「科学の方法」よりも洗練された微妙なものです。


その結果は、形式論理で正当化される以上にしっかりと、経験豊富な研究者の穏当な判断に基礎づけられているのです。

お久しぶりです。


今月初めての更新です。


今回は、科学知識はどのようにして得られるかということについて。


一般には、科学の威力は、知識が獲得される方法によるものだと信じられていますよね。


しかし、科学教育でこの「科学的方法」について教育される事はほとんどないのです。


学校では、適当な題目のもとに、つまり


(1)実験の目的

(2)器具

(3)方法

(4)結果

(5)結論


・・・というふうに実験ノートをきれいに正確に書くことが強調されます。


「ブンセンバーナーに点火する前には、ゴム栓をしっかりしめておくように」・・・というようなことですね。


この一連のたくみに配慮された指示に従って行われる「実験」自体は、良く工夫されているわけです。


そのために、本当の研究プロセスの空虚なパロディと言えなくもないでしょう。


このように感じる方は多いのではないでしょうか?

まだまだ続く科学教育の話。


完全な科学的世界像を展開しようとしないやり方で、科学教育が、そういう「唯一の」世界像が存在するという神話を保っておこうとするのは、パラドックスであると思います。


しかし、もちろん、それこそが神話の本性というものです。


・・・つまり、合理的な探求にさらされてはならず、信じるかどうかだけが問題だと教え込まれなければなりません。


まともに考えてみると、そういう神話は、矛盾と不確実さのために崩壊してしまいます。


今では、わたしたちは、唯物論におちいるにはちょっと悲観的で賢明過ぎるでしょう。


唯物論は科学主義のもっともナイーブな形態で、既存の科学の世界像のみが本当で真であると主張しています。


感情・観念や社会システムは、原子、電子、分子や生化学の単なる付随物と考えるのです。


しかし、ドグマチックな心理学的行動主義を愛好したり、社会学は皆たわごとだと簡単に捨て去る物理学の学生は、この主張の影響をうけているでしょう。


人をこういう馬鹿げた見解に容易に陥れる無知から救うのは、理系か否かに関係なく、教育システムの責任なのです。


みなさんもそうは思いませんか?

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