こんにちは。
11月ももう半ばになってしまいました。
1年があっという間・・・。
何もしていない気がします。
時間の過ぎるスピードが、明らかにどんどん早くなっている気がします。
話は前回の続きです。
研究の最前線に近づくに従って、学生は、新しい科学知識が苦労して作られるのを垣間見るようになります。
しかしこのプロセスに実際に熱心に参加するようになるまでは、それを自分自身で観察し休験する機会はほとんどありません。
大学院生や博士号取得後の科学研究者、講師や教授でさえ、科学知識の妥当性という基本的な問題については、根も葉もない考えしか与えられなかったでしょう。
あるいは、たまたま講義を聞いたとか、半分素人向けに書かれた本を幾時間か読んだというような程度でしょう。
これが全く不健全な現象だというわけではありません。
現実には、科学研究は、自己の伝統に従うことで十分満足に進んでいるのです。
科学研究者は「妥当性」の基準や標準、適切な研究方法、結果や結論を発表する際のフォーマット等の伝統を徒弟期間に身につけます。
そして、簡単な哲学的議論では正当化出来ない方法でその伝統の間で生活することを学びます。
実際の科学の方法は、どんな図式的な「科学の方法」よりも洗練された微妙なものです。
その結果は、形式論理で正当化される以上にしっかりと、経験豊富な研究者の穏当な判断に基礎づけられているのです。